30年度陸軍墓地慰霊祭

福岡県陸軍墓地慰霊祭にて戯曲奏上を今年も行って参りました、声色俳優岩城朋子です!

皆さんは、毎年福岡県陸軍墓地にて慰霊祭がとり行われているのをご存知でしょうか。きっと知ってらっしょる方は少ないように感じております。
現に岩城も数年前までは存じておりませんでした。それどころか、陸軍墓地の慰霊祭と聞いただけで右翼の集会のようなイメージと、まるで足を踏み入れてはならぬ行事のようにすら感じておりました。

大間違いでした !!!

一般市民が犠牲なった慰霊祭は「正しく」、軍人に対する慰霊祭は「戦争賛美」との考えは、少なくとも今の岩城の頭の中には確実にございません。それだけは胸を張って言える事実でございます。

思えば、この慰霊祭にて語り芝居を奏上し始めてもう何年になるのか・・・
そもそもは、歴史ナビゲーター井上政典氏や吟道光世流のY上席師範との出逢いが、建国記念日での式典やこの慰霊祭等で戦争に関する語り芝居に取り組むことになった始まりでした。
今年の戯曲題目は「見よ、特攻隊の大成果を!松口月城氏の霊が語る!!」
過去にも「骨の声」「ペリリュー島のサクラサクラ」「嗚呼、血染めの連隊旗」「インドネシアで歌われた『愛の花』」などなど・・・
これら殆どの戯曲は井上氏原作、岩城脚色で、あらゆる地での戦いをあらゆる目線から語る形で構成されています。

この日10月21日は、ここ何年かの雨天から一変し秋晴れの清々しい青空のもと多くの方々がご参列されました。
私どもの戯曲奏上では涙される方もいらしたようで、この墓前で語る意味は今年も成し遂げられたように感じております。

そのような中、岩城の印象に残った事柄のひとつは、ご参列の皆さまの高齢化でした。
毎年ここでしかお顔を見ない方々もおられますが、なぜか今年はその知った方々の「歳を取られた感」が私にはとても切なく感じられ、この慰霊祭は一体どの若者に引き継がれて行くのだろうと寂しい気持ちになりました。初めてでした、この様な気持ちになったのは・・・。

そしてもうひとつ印象に残った事柄は、杖をついてヨロヨロと歩いて来られた一人のご老人。
式典に遅れて着席されたのでかなり目立っていたのですが、その姿からは想像もしないほどの大きな声に参列者は振り返って見ておりました。
やがて儀仗隊奏上が博多陸軍航空隊儀仗隊の皆さまにより再現されますと、ご老人は何か大きな声で独り言を言いながら立ち上がり、その儀仗隊の後を追うように会場を離れて行かれました。
やがて儀仗隊の皆さまの控え場に追いつかれたご老人は、更に大きな声を出され、一瞬彼らに文句を述べているかのようにも聞こえましたが、そうではなくご自分が所属していた陸軍の事を彼らに必死に、ですが嬉々として話していたのです。あふれ出る思いは留まるところを知らず、その大きな話し声は随分長い時間続きました。儀仗隊の皆さんは、もしかしたら戸惑いすら感じているのではないかしらと想像するほどの長時間でした。
ところが、いよいよ祭壇へ玉串奉奠になりました時、そのご老人は儀仗隊のお二人に付き添われて戻ってこられ玉串を捧げられたのです。ヨロヨロとしたその歩みを、復元した軍服姿の儀仗隊のお二人に優しく支えられる姿は、私には感動すら覚えるシーンとなったのでした。

全ての生物に平等である時間の経過、老い。
このテーマを目の当たりにした慰霊祭は、現世の限りと、御霊の行方に心を寄せる一日となりました。